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ゲーム文化/考察

なぜ日本のRPGは
「JRPG」と呼ばれるようになったのか

だれかに名前をつけられて、はじめて自分の輪郭に気づくということが、ゲームにもあるのかもしれません。「JRPG」という三文字を、子どもの私はたぶん知りませんでした。テレビの前でコントローラーを握っていたときは、それをただ「ドラクエ」や「FF」と呼んでいて、自分がどんなジャンルを遊んでいるかなんて考えたこともなかった気がします。その呼び名が、実は海の向こうの誰かの口から生まれたものだと知ったのは、もっとずっとあとのことでした。

更新日:2026年7月19日 筆者:名作記憶の語り部
海の向こうから日本製RPGを眺める視点を思わせる静かなイラスト。剣と魔法・ドット絵の城下町・吹き出しの「JRPG」という呼び名が、太平洋をはさんで結ばれている

「JRPG」は、内側から生まれた言葉ではなかった

「JRPG」は、日本のゲーム会社が自分たちの作品を分類するために考えた呼び名ではありませんでした。文化庁のメディア芸術カレントコンテンツに載っている解説によれば、欧米のプレイヤーたちは遅くとも1990年代初頭には日本製RPGを一群のカテゴリとして認識し、「Japanese RPG」というレッテルを貼りはじめていた。そして「JRPG」という語を確認できる最古の例として挙げられているのが、1992年1月のニュースグループ(Usenet の rec.games.video)への投稿です。

その投稿を実際に読んでみると、意外なことに、揶揄の気配はほとんどありません。書き手は「WRPGは非線形で複雑、JRPGは決まった型に近い」と並べたうえで、「自分はWRPGよりJRPGの絵柄のほうが好きだ」「JRPGは優れた映像と音で映画を観るようなもので、WRPGは自分で物語を書くようなものだ」「どちらが優れているという話ではなく、ただ違うものだと思う」と書いている。つまりこの言葉は、少なくとも最初に姿を現したときには、優劣ではなく違いを言い分けるための道具として使われていたことになります。「JRPG」は、日本の外側に立った視線から、日本の内側を眺めて名づけられた言葉だった——そこは変わりません。

区別するための線引きだった

区別する、というのは、たぶん悪いことではありません。自分の知っているものと違う何かに出会ったとき、人はまず輪郭を描いて呼び名をつけたくなるものだと思います。プレイヤーが主人公の見た目や名前を自由に決められるゲームに慣れていた人たちからすると、最初から性格も過去も決まっている主人公が、用意された物語をなぞっていくタイプのRPGは、たしかに毛色が違って映ったのでしょう。「JRPG」という言葉は、そういう線引きの結果として生まれた、外側からの分類名だった気がします。

揶揄の響きが強まったのは、意外にもあとの時代だった

では、この呼び名はいつ棘を持ったのか。調べてみて意外だったのは、それが「初期のころ」ではなかったことです。

先の文化庁の解説はこう書いています。自由さと複雑さを重視するタイプの欧米RPGファンは当初からJRPGを「型が決まりきっていて一本調子なもの」と見ることが少なくなかった。けれどもスーパーファミコンからプレイステーションの時代を通じて、JRPGは演出や物語性の洗練を進め、一本道の物語やアニメ的な世界観さえ固有の魅力に変えていった。ところがその快進撃が頭打ちになった2000年代後半、欧米ではJRPGを「古臭い」「進歩が止まった」と揶揄することが珍しくなくなり、この語がもたらすネガティブイメージに業界も悩まされた——『ドラゴンクエストIX』(2009年)の発売時には、欧米メディアに向けてわざわざ「いわゆるJRPGジャンルではない」というコメントが出されたほどだった、と。

同じ時期の英語圏の書きぶりも符合します。2008年のゲーム開発者向け媒体の記事は「2008年現在、日本のRPGは多くの西洋の批評家にとって嘲笑の対象になっている」と書き、その理由として遅くてメニュー主体の戦闘、ランダムエンカウント、物語への過度な依存、そして進化しないことを挙げています。つまり揶揄の的になったのは、私がぼんやり想像していた「記号的なキャラクター造形」ではなく、もっと手ざわりのある——遊んでいるあいだ指と時間に直接さわってくる部分でした。言葉の温度は統計のように測れるものではありませんが、それが最も冷たかった時期には、ちゃんと年代の輪郭がありました。

名前の下に、いくつもの工夫が畳み込まれている

ただ、「JRPG」という言葉が指し示そうとした特徴じたいは、なんとなく輪郭がつかめます。ターンを区切って行動を選ぶ戦闘、キャラクターの背景や関係が物語を牽引する構成、あらかじめ用意された筋道を歩いていく感覚の強さ——挙げていくと、たしかに一つの家族のように見えてくる要素があります。どの作品にも例外はあって、あくまで大づかみな傾向としての話です。

JRPGと呼ばれがちな傾向WRPGと呼ばれがちな傾向
戦闘ターン制・コマンド選択が多いターン制・準ターン制からリアルタイムまで幅広い(ここは東西で割り切れない)
主人公性格や過去があらかじめ決まっているプレイヤーが一から作ることが多い
物語の進み方用意された筋を追う場面が多い選択によって枝分かれする場面が多い

この手の一般化は乱暴になりがちですが、呼び名というのはもともと乱暴なものなのかもしれません。実際、右の列でいちばん割り切れないのが戦闘のところで、欧米のRPGにもターン制や「一時停止つきリアルタイム」の作品はいくらでもあります。ターン制かリアルタイムかという軸は、東西の線引きとは別のところを走っている。ジャンルの線引きそのものについてはゲームジャンルの選び方のほうで丁寧に扱われているので、ここでは深追いしません。それに、表の左側に並んだ工夫のひとつひとつには、それぞれ生まれた瞬間があったはずで、その積み重ねをたどる話はゲームの発明ランキングに譲りたいと思います。私がここで書きたいのは発明の歴史というより、その工夫の束が海を渡ったときにどう呼ばれ、どう見られたか、という話のほうです。

外側に立っていたから、見えたものがある

内側にいると、当たり前すぎて名前をつけようとも思わないものがあります。区別する必要がなければ、名前は要らないのだと思います。「JRPG」という言葉が海の向こうで生まれたのだとしたら、それは日本の外に立った誰かが、自分たちの慣れ親しんだものとの違いに気づいたからこそ生まれた言葉だったはずです。距離があったから見えたもの、というのは、たしかにあるのだろうと感じます。

いまも、決着はついていない

ここで「そして揶揄はジャンルの誇りに変わりました」と書けたら、話はきれいに閉じます。実際、先の文化庁の解説も「かつては蔑称とまで言われた『JRPG』の語は、いま少しずつその価値や意味あいを変えつつある」と結んでいる。西側のファンがこの言葉を好意的に使う場面が増えたのも、たしかなようです。

ただ、名づけられた側の受け止めは、そこまで一枚岩ではありませんでした。2023年、この呼び名をめぐって日本の作り手の言葉が相次いで報じられています。プラチナゲームズの神谷英樹さんは、JRPGとは日本の作り手にしか作れない感性のRPGを指すのだから祝福されるべきだとしたうえで、「日本のゲームクリエイターとして、私たちはJRPGという言葉そのものを誇りに思っている」と述べた。いっぽう『ファイナルファンタジーXVI』プロデューサーの吉田直樹さんは、少なくとも自分たちのチームは「JRPGを作ろう」と思って作ってはいない、ただRPGを作ろうと思って作っているのだと語り、この言葉が現れた当時のことを「差別的な用語のように感じられた」と振り返っています。同じ年に、同じ言葉について、正反対に近い距離感が並んでいる。

言葉の持ち主が入れ替わる瞬間

それでも、外側の誰かがつけた呼び名を、内側の作り手が自分から引き受けて名乗る——そういう瞬間が確かにあることは、神谷さんの言葉が示している通りです。そういう逆転は、ゲームに限らずいろいろな文化で起きてきたことのような気もします。ただ、引き受けるかどうかは一人ひとりが決めることで、ジャンル全体でいっせいに切り替わるようなものではないのでしょう。呼び名が育っていくというより、呼び名との距離を各自が測り直している、と言ったほうが近いのかもしれません。

放課後の記憶のなかの「JRPG」

私自身がその呼び名を知らずに遊んでいたゲームのことを、少し書いておきたくなりました。夕方の光がカーテンの隙間から差し込む部屋で、宿題をあとまわしにして、テレビの前に座っていたことがあった気がします。ターンが回ってくるたびに、コマンドを選ぶ指先だけが妙に真剣で、画面の外の時間はどんどん流れていくのに、画面のなかの時間だけがこちらの都合で止まってくれる。あの感覚を、私はいまでも正確には言葉にできません。記憶というのは都合よく編集されるもので、実際にどのタイトルだったかさえ、もうあいまいです。それでも、エンディングを見終わったあとにしばらく動けなかったことだけは、たしかだった気がします。そのあとに残るものについてはエンディングのあとに残るもののほうに書いたので、ここでは繰り返しません。

名づけられることの面白さと、少しの心もとなさ

文化が海を渡って、外側から名前をつけられる、というのは面白いことだと思います。同時に、少し心もとないことでもあるのだと思います。名前は便利である一方で、名前をつけた側の視点をどうしても含んでしまうからです。「JRPG」という言葉のなかに、日本の作り手たちが意図していなかった意味合いが混ざっていたとしても、不思議ではありません。それでも、その言葉を通して自分たちの遊んできたものの輪郭を、あとから教えてもらったような感覚が、私にはあります。あなたが子どものころに遊んでいたあのゲームは、いま、どんな名前で呼ばれているでしょうか。

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