大会の配信を眺めていると、画面の中でスポットライトを浴びている選手たちは、いつまでもそこにいるような気がしてしまいます。けれど何年かeスポーツというものに付き合ってみて感じたのは、主役の顔ぶれは思っているよりずっと早く入れ替わっていく、ということでした。これは私の印象だけの話ではありません。プロ選手のうち2年より長く競技を続けられるのは5人に1人だけ、という研究があります。今日はその先——選手たちが競技から退いたあとの時間について、少し立ち止まって考えてみたいと思います。

eスポーツの世界で「選手として第一線にいられる期間は短い」という話を、私はこれまで何度か耳にしてきました。ただ、これは感覚だけで語られていることでもありません。1997年から2023年までの大会賞金の記録、およそ26万件を分析した研究は、賞金獲得のピークがおよそ21歳で、競技としての寿命は従来のスポーツより短いと結論づけています。理由としてよく挙げられる反応速度についても、対戦型ゲームのプレイヤー3,305人を調べた研究が、加齢による反応時間の低下は24歳ごろから始まり、熟練していてもそれを埋め合わせられない、と報告しています。上達すれば衰えを補えるはずだ、という素朴な期待は、少なくともこの調査では支持されませんでした。
そこに、いわゆる「メタ」と呼ばれるゲームタイトルの環境が絶えず更新され続けることも重なるのだろうと思います。積み上げてきた読みや型が、アップデート一つで前提から崩れてしまう。さらに、次々と現れる若い世代の存在があります。上には上がいる、という言葉がこれほど文字どおりの重さを持つ世界も、あまりないのかもしれません。もっとも、先の賞金の研究は、賞金総額が大きくなり業界の体制が整うにつれて、競技を続けられる年齢の幅がむしろ広がってきたとも書いています。実際の競技寿命は種目や個人によって大きく異なるはずで、一律に語れる話ではないでしょう。それでも「思っていたより早く、その日は来る」という感覚は、多くの選手にどこか共有されているもののように感じられます。
引退という言葉は、どこか終着点のように響きます。けれど実際には、その先にはいくつもの道が枝分かれしているようです。
競技者としての勝負勘やデータを読む力は、引退した瞬間に消えてしまうわけではありません。むしろチームのコーチやアナリストという立場に回ることで、自分が積み上げてきたものを次の世代へ渡していく。実際にその道を選んだ選手がいます。ある人気タイトルの選手は、7年在籍したチームで2020年10月に現役を退き、そのまま同じチームのヘッドコーチに就きました。プレイヤーとして培った感覚を言語化し、チームに伝える仕事には、選手時代とは違う種類の難しさが伴うのだろうと想像します。
競技の勝敗から離れても、ゲームを見せる、語る、という形で画面の前に立ち続ける道もあります。配信やコンテンツ制作という選択肢は、選手時代に培ったファンとのつながりを生かせる場所でもあるのでしょう。競技を退いたあと、所属していた組織に専業の配信者・コンテンツ制作者として戻った選手もいます。ただ、勝つことを目的にしてきた時間の長さを思うと、今度は「楽しませること」「続けること」そのものが目的になる働き方に、心の置き所を探すような戸惑いもあるのではないかと感じます。
大会運営や、チームのマネジメント、スタッフとして関わり続ける道もあります。かつて自分が立っていた舞台を、今度は裏方として支える側に回る。選手を経てチームそのものを立ち上げ、経営者になった人もいます。そこには、選手として見えていた景色とはまったく違う景色が広がっているはずです。
実況・解説の席に座る元選手の姿も、近ごろは珍しくなくなってきた気がします。プレイの意味を、観ている側の言葉に翻訳して届ける仕事は、選手だった時間があるからこそ書ける台本のようなものかもしれません。
そしてもちろん、eスポーツやゲーム業界そのものから離れて、まったく別の仕事に進む選手もいます。競技で培った集中力や、結果を出すための自己管理の姿勢は、業界を問わず活きる力なのだろうと思います。どの道を選ぶにしても、そこに優劣はないはずです。
私がいちばん気になるのは、道の名前よりも、主役でなくなったあとの時間をどう受け止めるか、ということです。何年もの間、結果と順位という物差しの上で生きてきた人が、ある日その物差しを手放す。そこにはきっと、外からは見えにくい静けさがあるのだろうと思います。
以前、積みゲー心理を巡る記事で、人は「遊ぶこと」そのものよりも「遊べる可能性」を手元に置いておきたいのかもしれない、という話をしました。競技を離れた選手たちの中にも、似たような感覚があるのではないかと、私は勝手に想像しています。長くひとつのタイトルに向き合ってきた人が、勝つためではなく、ただ楽しむためにコントローラーを握り直すとき、そこには競技者だった頃とは違う戸惑いと、静かな解放感が同居しているのかもしれません。
同時に、ひとつの競技タイトルに時間を注いできた分だけ、引退後には驚くほど自由に、好きなジャンルを選べる時間が広がっているとも言えます。もしどんなゲームを選べばいいか迷うことがあれば、ジャンルの選び方をまとめた記事が、次に手を伸ばす一本を選ぶ手がかりになるかもしれません。
スポットライトが消えたあとも、時間は続いていきます。戻らないものを惜しむ気持ちと、まだ続いていく日々を生きていく気持ちは、たぶん両立するものなのでしょう。主役でなくなったその先にも、それぞれの続きがある——そのことを、私はどこかで信じていたいと思っています。
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