これは特定のゲームの実際のプレイ記録ではない。いくつもの作品で出会った村人やモブの振る舞いを思い返しながら、頭の中のノートに書き足していく、採集の記録のようなものだと思ってほしい。名前も役目も与えられていない住人が、画面の隅で何を言っていたか。私はそれを、天気の話や噂話といった型に分けて書き留める癖がある。

主人公は世界を救うために走っている。魔王を倒し、姫を助け、失われた何かを取り戻す。物語はその人のために回っていて、村の人たちはたいてい、その物語の外にいる。名前もなく、役目もなく、ただそこに立って、同じ台詞を繰り返している。私はその一行を拾って歩くのが好きだ。
逐語で引くことはしない。こういうことを言っていた、という要約で、その一行の手ざわりだけを残す。採集を続けていると、名もなき住人の台詞にはいくつかの型があることに気づく。私はそれを勝手に名づけて、ノートの見出しにしている。天気型、噂型、壁説明型、時報型、更新型、そして、世界の危機を知らない型。順番に開いていく。
いちばん最初のページは、天気型だ。村に入ってすぐ、井戸のそばや畑の脇に立っている人が、今日はいい天気だね、という趣旨のことを口にする。それだけだ。宝の在りかも、敵の弱点も、何も教えてくれない。ゲームを先に進めたいプレイヤーは、たいてい素通りする。
けれど私は、この一行が世界にとって大事な役目を負っていると思っている。天気の話をする人がいることで、その土地に今日という時間が流れ始める。晴れているということは、昨日は違ったかもしれない、明日も分からない、ということだ。たった一行の世間話が、止まっていた背景に現在という時制を差し込む。村が書き割りではなく、人が暮らす場所に見えてくる。
天気型の台詞は、季節や時間帯で少しだけ変わることがある。朝に話しかけた相手が、夜に会うと眠そうにしている。雨の日には洗濯物の心配をしている。その差分を見つけたとき、私はノートの余白に小さな丸をつける。作り手がここに手間をかけた、という印だ。
次のページは噂型。隣町で妙なものが出るらしい、山の向こうで人が消えたらしい。誰から聞いたわけでもない、確かめようもない話を、住人はどこか楽しそうに語る。真偽より、語ること自体が娯楽なのだと分かる口ぶりだ。
噂型のうまいところは、案内でありながら命令に見えないことだ。画面の上に光る矢印や、次はここへ行けという指示は、遊びを効率のレールに乗せる。噂話はそうはならない。行ってもいいし、行かなくてもいい。ただ、聞いてしまうと少し気になる。その気になるだけを残して、あとは足まかせにする。うまく設計された噂は、探索の理由を外から与えず、内側から芽生えさせるように見える。
噂には、後で答え合わせができるものと、最後まで真偽の分からないものがある。私はどちらかというと、確かめられない話のほうを上の段に書く。世界のすべてが回収されないこと。語られたきり放っておかれる話があること。そのほつれが、かえって世界を広く感じさせる。
三ページ目には、二つの型を並べて書いている。壁説明型と時報型だ。壁説明型は、遊び方そのものを教えてくれる人たちのこと。ここでは道具が買える、宿に泊まると回復する、といったルールを、看板ではなく人の口から聞かせる。同じ内容でも、システムのメッセージで表示するのと、宿屋の主人にひとこと言わせるのとでは、受け取り方がずいぶん違う。前者は説明書で、後者は会話だ。世界の決まりごとが、そこに住む人の言葉として立ち上がってくる。
時報型は、時間によって台詞が入れ替わる人たちだ。朝は畑へ行くと言い、昼は暑いとこぼし、夜は早く休めと勧めてくる。プレイヤーがどれだけ長く冒険していても、村の一日はちゃんと回っている。夜中に訪ねて、まだ起きていたのかと驚かれると、こちらの生活のほうが不規則なのだと気づかされる。その村の中に、自分とは別の時間が刻まれている証拠のような台詞だ。
いちばん厚みのあるページが、これだ。世界の危機を知らない型。物語の上では滅亡が迫っていて、主人公は残りわずかな時間を数えている。それなのに、井戸のそばの住人は、今年の水は冷たい、と世間話をしている。緊迫のただ中で、ひとりだけ日常を生きている。
危機を知らない人がいるからこそ、守るに値する日常がそこにある。そう読むこともできると、私は思っている。
はじめてこの型に気づいたとき、私は少し戸惑った。危機感がないのは作り込みが甘いからでは、とすら思った。けれど採集を重ねるうちに、逆かもしれないと考えるようになった。世界の全員が主人公と同じ切迫を共有していたら、そこはもう世界ではなく、舞台の書き割りになる。断定はしない。作り手がそこまで意図したのか、私には分からない。ただ、水のことを話す背中は、私の手帳の中でいちばん長く残っている。
最後の型は、更新型と名づけている。物語が一段進むと、同じ場所の同じ人が、前とは違う一言を足してくる。橋が直ったね、と言う人。子どもの熱が下がったと笑う人。台詞そのものは短い。けれど、自分が世界に対して何かをした、その手ごたえを、村人の口が代わりに教えてくれる。宝箱の中身より、私はこの一言の変化のほうを長く覚えている。更新型を探すには、一度会った相手にもう一度会いに行くしかない。だから採集家は、同じ道を二度歩く。行きに拾えなかった一行が、帰りに落ちていることがある。二度目の村は、一度目より少しだけにぎやかに聞こえる。
六つの型を並べてみると、どれも同じ一つのことを別の角度から言っているのに気づく。名もなき住人は、そこに時間が流れていることを、それぞれのやり方で証している。天気型は今日を、時報型は一日を、更新型は物語の前と後を受け持つ。世界の厚みというのは、たぶん、こうして積み重なった時間の手ざわりのことなのだと思う。数字にも実績にも表れないその厚みを、私は台詞の一行ずつで測っている。
採集家としての提案を一つだけ書いておく。次に何かのゲームを始めたら、物語を急ぐ手を少しだけ止めて、村の人にもう一度話しかけてみてほしい。二度目、三度目で言葉が変わる住人がいる。イベントを越えた後に、こっそり一文だけ増えていることがある。誰も気づかない場所に、作り手はよく小さな贈り物を隠している。
どのジャンルにこういう住人が多いか、という話は、遊ぶ本を選ぶときの目安の一つにもなる。もし今、次の一本を迷っているなら、ジャンルごとの遊び心地を整理した別の読み物も置いてあるので、そちらものぞいてみてほしい。
最後に、少しだけ現実の話をする。私たちも、誰かの物語の中では名もなき住人だ。通勤電車で隣に座った人にとって、私はモブでしかない。それでいいと、最近は思う。天気の話をして、今日を今日として過ごす人が、その街を街にしている。ゲームの村がそうであるように。ノートを閉じて外へ出ると、道端で誰かが、いい天気だね、と言っていた。私はそれを、今日のいちばん上の行に書き足した。
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